宮崎勤連続幼女誘拐殺人事件について
1988年から1989年にかけて、埼玉県と東京都で4人の幼女が相次いで誘拐、殺害された警察庁広域重要指定117号『連続幼女誘拐殺人事件』について考えてみた。
事件の経過と宮崎勤の経歴
| 1962年 | 8月21日 | 宮崎、長男として誕生 |
| 1966年 | 10月ごろ | 保健所で「とう尺骨癒合症」と診断される |
| 1975年ごろ | 高校受験の勉強を始めたご褒美にと両親がビデオデッキを買い与える | |
| 1982年ごろ | テニスコートに行きパンチラ写真を撮るようになる | |
| 1986年 | 7月 | 宮崎、普通自動車免許を取得 |
| 12月 | 宮崎、母親に車を買ってもらう | |
| 1988年 | 5月16日 | 宮崎の祖父死去 |
| 8月22日 | 埼玉県入間市の今野真理ちゃんが行方不明に | |
| 10月 3日 | 埼玉県飯能市の吉沢正美ちゃんが行方不明に | |
| 12月 9日 | 埼玉県川越市の難波絵梨香ちゃんが行方不明に | |
| 15日 | 埼玉県名栗村の山林で絵梨香ちゃんの全裸死体が発見される | |
| 20日 | 絵梨香ちゃん宅に<絵梨香 かぜ せき のど 楽 死>と書かれた葉書きが届く | |
| 1989年 | 1月中旬 | 宮崎、真理ちゃんの遺骨を拾って被害者の両親に届け、死んでいることを知らせようと思い殺害現場へ |
| 2月 6日 | 真理ちゃん宅に<真理 遺骨 焼 証明 鑑定>と書かれた紙片と骨片などが入ったダンボールが届く | |
| 10日 | 真理ちゃん事件に関する「今田勇子」名の犯行声明文が朝日新聞東京本社に届く | |
| 11日 | 同じ犯行声明文が真理ちゃん宅に届く | |
| 3月11日 | 「今田勇子」名の告白文が朝日新聞東京本社と真理ちゃん宅に届く | |
| 6月 6日 | 東京都江東区東雲で、野本綾子ちゃんが行方不明に | |
| 11日 | 飯能市の宮沢湖霊園のトイレ脇でで綾子ちゃんの胴体が発見される | |
| 7月23日 | 東京都八王子市で幼女の全裸写真を撮っていた宮崎勤(逮捕時27歳)を強制猥褻の現行犯で逮捕 | |
| 8月 7日 | 宮崎勤、猥褻容疑で起訴される | |
| 8月 9日 | 宮崎が綾子ちゃんの誘拐殺人を上申書にて自供 | |
| 8月10日 | 宮崎の自供に基づき東京都奥多摩町で綾子ちゃんの頭部を発見。マスコミが報道開始 | |
| 8月11日 | 警視庁が宮崎を再逮捕、身柄を深川署へ護送 警視庁と埼玉県警の合同捜査本部設置 | |
| 8月13日 | 宮崎が真理ちゃん、絵梨香ちゃんの誘拐殺人を自供 | |
| 8月24日 | 宮崎、徳井達司医師による簡易精神鑑定を受ける | |
| 9月 5日 | 宮崎が正美ちゃんの誘拐殺人を自供 | |
| 9月 6日 | 自供に基づき正美ちゃんの遺骨と衣類を東京都五日市町(現:あきる野市)の日向峰付近の山中で発見 | |
| 9月 8日 | 埼玉県警が真理ちゃん事件で逮捕。身柄、狭山署へ | |
| 9月13日 | 自供に基づき真理ちゃんの遺骨を五日市町で発見 | |
| 9月26日 | 狭山署で真理ちゃんの遺体をビデオ撮影している状況を再現させる | |
| 10月 5日 | 正美ちゃん殺害を狭山署で状況を人形を使い再現させた。宮崎は自ら進んで行い、細部まで再現した | |
| 10月10日 | 絵梨香ちゃん殺害を同じく再現させた。宮崎は臆することなく細部まで進んで実演した | |
| 10月19日 | 身柄、狭山署から東京拘置所へ移送 | |
| 1990年 | 3月30日 | 東京地裁で第1回公判。幼女の「両手は自分で食べた」と述べる |
| 3月31日 | 立川簡裁で宮崎の両親が検察側証人として出廷し,非公開で証人尋問が行われる | |
| 1991年 1月〜 92年 3月 |
慶応大・保崎秀夫教授らによる精神鑑定(第1回鑑定) | |
| 1992年 | 3月31日 | 「善悪を判断し、その判断に従い行動する能力は保たれていた」と責任能力を認める保崎鑑定書提出 |
| 11月11日 | 初の被告人質問で「祖父の遺骨を食べた」などと供述。弁護側が再鑑定を申請 | |
| 12月18日 | 再鑑定を内沼、関根、中安の3人に委嘱。公判中断 | |
| 1993年 1月〜 94年11月 |
帝京大・内沼幸雄教授らによる精神鑑定(第2回鑑定) | |
| 1994年 | 11月21日 | 宮崎の父、多摩川に投身自殺 |
| 11月25日 | 「多重人格を主体とする精神病で、善悪の弁識能力などが若干減弱していた」として責任能力は限定的とする内沼・関根鑑定書提出 | |
| 12月19日 | 「精神分裂病で心神耗弱に相当するが免責される部分は少ない」とする中安鑑定書が提出 | |
| 1996年 | 10月 7日 | 第36回公判で検察官が死刑を求刑 |
| 12月25日 | 弁護側が最終弁論で「心神喪失か心神耗弱だった」と主張 | |
| 1997年 | 4月14日 | 第38回公判で死刑判決が言い渡される(→控訴 |
| 2001年 | 6月28日 | 東京高裁、控訴を棄却。2審も死刑判決 |